Another Story
ホーリー王国第三王子の元に依頼の手紙が直接届いたのは、ある日の朝だった。
懇切丁寧に言葉を選ばれた手紙の内容に、シルディはどうしたものかと首を傾げざるを得なかった。これまで何度もこういった類の手紙が届いたが、未だかつて上手くいったためしがない。どうしようかなあ。思わずそう零し、断る方向で意思を固めかけたそのとき――シルディの目に、とある一文が飛び込んできた。
「あ、これはやってもらわなきゃ!」
+ + +
「……それで? 急になんなんですか、王子」
「だからね、レンツォにお願いがあるんだ。お仕事受けて欲しいんだけど」
「お断りします」
「最後まで聞いてよ! というか、お仕事だからね!? そんなに簡単に断れるものじゃないんだよ!?」
心底面倒くさいという顔で、レンツォは執務机に肘をついた。横柄な態度は今に始まったことではないが、立場的にはどう考えても逆じゃないかと常々思う。とはいえ、自分にこういった態度が似合うはずもないことは自覚しているので、シルディは小さく肩を竦めて溜息を吐いた。
暗い赤の髪は、薔薇の色と呼ばれている。ホーリーの薔薇色秘書官といえば、それはそのままレンツォ・ウィズを指す。最も、薔薇色というのは髪色だけを指しているのではなさそうだけれど。
「金貨も弾んでくれたし、絶対に楽しいお仕事なんだよ。だからお願い、ねっ?」
「これ以上余計な仕事を増やされるのはご免ですね。いったいどういった内容なんですか?」
「うーん、それは当日まで内緒……とかだめ?」
言えば絶対に断られる。そうなっては元も子もないので訊ねてみたが、レンツォは眉間に深くしわを刻んで今にも「お断りします」と口を開きそうだった。
「じゃっ、じゃあ王子命令! そう、これは命令だよ、レンツォ! なにも聞かず、なんにも言わず、黙ってこの仕事を受けること!」
記憶にある限り、シルディがレンツォに対して「命令」を下したことは少ない。いつもいつも、彼になにかを頼むときは「お願い」だった。そもそも、性格に難ありとはいえ、レンツォは優秀な文官だ。シルディがとやかく言う前に先回りして仕事をこなしてくれるため、わざわざ命令する必要はなかった。
珍しい「命令」に、レンツォは一瞬だけ目を丸くさせ、大きな溜息と共に眼鏡を外した。
「命令、ね。分かりました、お受けしましょう。――ですが王子、金貨以外の報酬になにを提示されたのか、教えていただいてもよろしいですか?」
「えっ……、あ、いや、別に、なんにも……」
「嘘おっしゃい。でなければあなたがこうも生意気な口を叩くこともないでしょう」
「ほ、ほんとだよ! ほんとになんにも……!」
「大方、船に関することか……ああ、そういえば最近、アビシュメリナ近海の遺跡史料を欲しがっていましたね。そんなものでもちらつかされましたか?」
なんでもお見通しだと言うように鼻で嘲笑ったレンツォに、勢いよく胸倉を掴まれ引き寄せられた。よろけた体勢を整える間もなく、額に強烈な指弾が食らわされる。痛みに歪んだ視界に、意地の悪そうな笑みがいっぱいに広がった。
「我が王子の命とあれば、どんなことでも従いましょう。このレンツォ・ウィズのすべてをもって、必ずやその仕事完遂してみせますよ」
――嫌な予感がするなあ、とは言えるはずもなく。
シルディはひっそりと、胸の内で手を合わせた。